太平洋食堂

太平洋食堂旅行記

日時2012年08月01日      テーマ熊野・新宮・太平洋食堂

風文庫嶽本 あゆ美

風文庫~湖北にて①・・・・・・・・・

 いろんな命題をすっとばかして、7月29日未明から滋賀県の湖北にあるお寺へ行ってきました。
おいおい、偉そうにカラマーゾフのイワンはどうなった?と言う嘲笑が聞こえそうです。昔は絶対に一つ終わらせないと次に取り掛かれなかった私の腰の重さが、大分軽くなって?ひょいひょい新宮の高木顕明の話を聞きに行ったのです。しかし、新宮の人の話を滋賀県まで?となりますが、顕明を巡る湖北の旅は、巡礼の最後の奥の院みたいなものです。なぜならば、その清休寺のご住職・泉氏は顕明の研究や復権活動を長くされ、教団内で名誉回復の中心的な役割を果たした方です。そして私は仏教については手塚治虫の「ブッダ」を息子と読んだ程度の門外漢なので、そっちの方もいろいろ教えて頂きました。

 大逆事件の犠牲者の名誉回運動をしている方々に話を聞くと、今は会うことの出来ない明治に生きた大石やら顕明の面影が、突然目の前に立ち現れる事がよくあります。彼らの「志を継ぐ」というのは新宮の佐藤春夫記念館館長・辻本氏の言ですが、その精神は、時を超えてDNAのように転写されるようです。今回も、世界中の先住民との交流を永年に渡ってされた泉氏ならではの世界観を覗き見る事ができました。日本の被差別部落問題だけでなく、世界中のマイノリティと交流のあるご住職は、ついこないだまで北海道アイヌの所へ行っていたとのことでした。

 いつもながら地方への旅は、日曜日深夜の高速バス移動で現地滞在時間を最大限に確保します。案の定、旅の準備が終わらない私を心配して、ママ友が次男を預かってくれました。出発する夕方、そのお宅に迎えに行った私に、彼女は面白いものを貸してくれました。「これを読むと仏教と神道の差がよくわかるよ!」貸してくれた本は某企業内研修用テキストで、伊勢神社の禰宜の方の講演会録です。彼女はクリスチャンながら、最近親鸞にはまってるとか。それを読んで目から鱗!!!何と!お盆は!神道行事に近いものだったとは!!

「そんなこたあ知ってたよ」という人には御免なさい。前にも書きましたが私は盂蘭盆に施餓鬼行事をする地域に生まれ育ったので、お盆とは地獄の釜の蓋が開いて、死んだ人の魂が、「ちゃんとやっとるか?」と子孫に渇を入れに来るものだと思っていました。ところがそのテキストを端折ると、「49日かけて十万億土を旅して浄土へ魂が、そうひょいと帰ってきてはおかしい」と書いてあったわけです。確かに、おかしいと言えばおかしいし、霊魂は万里の道もワープしてくるのだという気もします。つまるところ、仏教が定着する過程で日本の習俗が融合したわけで、言うなればハロウィンみたいなものです。カボチャのお化けではなく、ナスとキュウリに乗ってくるご先祖の魂~。
 アホな私は、ご住職に訪問の日程を相談する際、「お盆は繁忙期ですよね?」と聞いてしまい、「大谷派では、そういうものはありません。お墓自体が無いことも珍しくないのです。」とスッパリ言われました。まだまだ世間には知らないことがいっぱい。
 そのテキストによると、生きててエネルギー溢れる「タマ」は、動物の体から抜けちゃうと「たましい」になって、空しい状態になるそうです。「しい」というのはそういう良くない状態を言うらしい。昔は死ぬのを空しくなった、と言いましたが、確かに何もかも嫌になると「空しい」わけですよね。魂も抜けますわ。

 朝、6時半に彦根に到着した私はタマが抜けたように、24時間営業のファミレスを探して街をうろつきました。40分歩いてようやく見つけたガスト彦根店。なぜかお客がいっぱい。そこでモーニングを食べて、顔を洗ってさあ、行くぞとばかり駅に戻りました。途中、見上げたでかい彦根城は私を、田舎者めと嘲笑っているようでした。次は純粋に観光で行きたいです。(続く)

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