太平洋食堂

太平洋食堂旅行記

日時2011年05月22日      テーマ熊野・新宮・太平洋食堂

熊野行 その1嶽本 あゆ美

 ブログご無沙汰をお詫び致します。次回メメント準備中の嶽本の近況をお知らせ致します。
しかし話題はチェーホフに非ずなのでご容赦を。

 ついに行って来ました!念願の和歌山県新宮に。「太平洋食堂」にからむ大逆事件関係の取材です。
七年来の望みというか、まあ、行くか行かないかは自分次第だったのかもしれませんが。
 チェーホフを書いてる途中に、千載一遇の好機?が訪れ、車中泊、現地一泊、帰りも車中泊という中年には非常に過酷な旅でした。青年劇場の福山さんにご同行頂いたのですが、強行軍につき合わせて本当に申し訳なかったです。彼女が一緒じゃなかったらやりきれませんでした。ついでにもちろん便乗して中上健次関係も見てきました。そっちはとっくに終わった後で何じゃ?と言われそうですが、7年前に「千年の愉楽」を脚本にしましたが、実際、現地に行きもしないで書きました。でも行っていたら書きあげられなかったでしょうね。圧倒されて。
 それで今回の目的は、苦節の六年を経て書き上げた「太平洋食堂」の補強工事、第四稿だか、もう数字はいい加減ですが、もうそろそろ行っても大丈夫だろう、行かないと誰かに先を越されるんじゃないかと、重い腰を上げてようやく新宮に行ったんです。

 結果から云うと完全にやられましたね。百聞は一見というより新宮という町やそこの人々に悪酔いしました。そこに存在し続ける一次資料、百年の明治からそのままある物証なんかに完全に飲まれました。というわけで私らしい熊野詣の珍道中その①です。

 22時45分横浜発・南紀方面行の高速バスに乗りました。前日まで資料の読み込みで睡眠不足でしたが、あえて寝て行けばよいと軽く考えていたんですよ。私は馬鹿だった。すさまじい振動と騒音でうとうと寝ては起きるというまるで、授乳生活のようでした。おまけに、背の低い私にバスの椅子は全くサイズが合わず、リクライニングして寝ようとするとズルズルと滑り落ち、寝ては滑り、起きては這い上がり・・・気が付いたら、夜が明け始めていました。
それでそっと窓を見ると三重県辺りらしく山ばかり。この山が普段見知ってる山と違い、急なお椀のような山がいくつもいくつも覆いかぶさるようです。ところが、どこかの坂を曲がったとたんにいきなり熊野灘が目の前に開け、又、山の中へと戻る・・・を繰り返し、熊野川に掛る橋を渡って三重県から和歌山県へ入ると朝八時すぎに新宮に着きました。町には、もうすぐ公開の映画「軽蔑」のポスターが溢れていました。私は内心、早く着いたら「王子が浜」という名所まで、路線バスで行こうとしたのですが、もう気力も体力も残っていなかったので、福山さんと朝ごはんを探しに町を歩き始めたのです。ところが!!

 あっちにマックがあるらしいと喋る同じバスの若者の声を小耳にはさんで、市内の大型スーパーに行ったら、マックは9時半からでした。うーん、どうしてなの?それで、道行く人を捕まえて開いてるお店を教えてもらい、どうにかこうにかモーニングを食べました。私、銭湯とかはググってましたが、朝ご飯を食べる店を軽視していたんです。
 しかし新宮という町は手ごろな狭さなので、すぐに復活した私らは、西村伊作記念館へと駆け込みました。ここはとても素敵な場所でした。あんまり居心地よいので、又しても時間がずれ込み、10時の待ち合わせに間に合うべく、小走りに速玉神社へと走って行ったのです。いつでもバタバタ走るバタ子です。もちろん、静かな町を走ってる人は誰もいません。

 丹鶴城の石垣を眺めながら、速玉神社境内の佐藤春夫記念館へと駆け込みました。待っていてくれたのは館長の辻本先生。郷土史家として知られ、長らく新宮高校に務められた辻本先生は、去年の八月にNHKスペシャルの「埋もれた声」で地元のナビゲーター役として出演してました。ついに私はようやく初めて、大石誠之助の専門家というか生き字引の様な人に出会って感激です。三蔵法師がお釈迦様に出会ったみたいな、孫悟空が三蔵法師に出会ったみたいな・・・そういう感じです。もっとも、この町にはそういう生き字引がたくさん居たんですよ。(つづく)

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日時 2013年7月3日(水)〜7日(日)

会場 座・高円寺

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