太平洋食堂

太平洋食堂旅行記

日時2013年02月12日      テーマ熊野・新宮・太平洋食堂

ある晴れた日の百年の

ある晴れた日の百年の①

1月26日の土曜日に新宿区の正春寺にて、大逆事件の刑死者の追悼墓前祭がありました。この日は年に一度、この事件や社会主義の研究者だけでなく、一般の関心のある人々が集います。私は初めての参加で青年劇場の福山さんとともに馳せ参じました。受付には「大逆事件の真実を明らかにする会」の大岩川さんがいらっしゃって仕切ってました。大岩川女史は月いちリーディングでも、積極的に持論を発言なさっていた方です。そして、何と五十年もこの会の受付をなさっているのです。これだけでも太刀打ちできません。

正春寺には、刑死した管野すがの墓があります。墓前に線香を手向け参加者一同で読経の間、冥福を祈りました。裏には元恋人の荒畑寒村の言葉が。大逆に散った恋人への餞です。昨年、インタビューしました堀切利高さんは寒村研究の第一人者でした。しかしながら昨年12月にお亡くなりになりました。貴重な肉声を聞かせて頂けたことは私にとっても財産です。もう一度、行くという約束も果たせぬままでした。本当に一期一会。ゆっくりと寒村を思い出しながら話される言葉は暖かさと友情に満ちて、鮮やかに思い出の情景を語って下さいました。御冥福をお祈り致します。

墓参の後に集会場でいろいろな方が前年の動きやら活動について報告されました。本を出された方、ニュージーランドからいらして、慰霊碑の建立に尽力されている方、新たな資料を発掘調査された方などなど。百年というのは長いようで短いので、大杉栄の御親族の方や、管野すがの下宿の大家さんの孫にあたる方もいらっしゃって、まるで昨日の出来事のように、事件についてお話をされました。そう、まるでこないだの事のように。非常に印象に残ったのは、齢八十を超えようとしている皆さんには、百年前の事は父母の時代のちょっと前の事、そして二度の大戦、ことに第二次世界大戦は本当に昨日の事なのだという言葉でした。

「つい昨日、日中戦争がはじまってあっという間に太平洋戦争になって負けたんだよ。」
「僕の親父の所には、アナキストも来たけど北一輝も来て、本当にそういう人達というのは、不思議とどこかで結びついていたものだ。」
「タンスの上にある唐草風呂敷、あれに大逆事件の爆裂弾が包んであったというわけだ。本当にそんな大それたもんなら、警察が持ってったらいいのに、あのまんまさ。管野さんは、道端の花を摘んではキレイな押し花にしてた。」

歴史の目撃者の証言は、何よりも説得力がありました。歴史の野次馬はひたすら聞き込みつつ、その濃い空気を吸っておりました。

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