太平洋食堂

太平洋食堂旅行記

日時2013年02月13日      テーマ熊野・新宮・太平洋食堂

ある晴れた日の百年の

ある晴れた日の百年の②

 大逆事件刑死百周年を超えて、この大逆事件に関心を持つ人が世に出てきたようです。苦節六年の私もようやく今年、「太平洋食堂」が上演できるという晴れがましさでこの墓前祭に参加しました。会に集まったのは、日本全国だけでなく、何とニュージーランドやタスマニアからも駆けつけた方が居ました。一人は日本女性で、ミユキ・デービットソンさんと言い熊本グループの研究をしています。そして、もう一方はバーバラ・ハートリーさんといってタスマニア大学で大石誠之助の研究をしているとのことでした。世界に自分と似ている物好きが、最低三人は居るということでしょうか。

 会場では、昭和の大逆事件と言われる横浜事件で冤罪となった木村亨さんの奥様、木村まきさんに出会 いました。木村亨さんは、新宮のご出身です。この終戦直前のどさくさに左翼を撲滅しようとした陰謀で逮捕された編集者は、朝日新聞、中央公論、改造、岩波書店、満鉄調査部会わせて60名。拘留された被疑者らは凄絶な拷問を受けました。
 読んでるだけで痛くなります。井上ひさしさんの組曲虐殺くらい痛いです。私ならすぐに何でもしゃべっちゃうでしょう。そして、無関係な人を巻き添えにしてしまい地獄に落ちそうです。それに耐えて耐えて獄に繋がれるということの強さ、恐ろしさ。想像の域を出て悲鳴を上げたくなります。

 横浜事件の構造とは、温泉で撮った宴会集合写真に載っていた人をみな、治安維持法でひっぱり、敗戦で法律がなくなる直前に裁判で有罪を告げて懲役刑にしました。いえいえ、敗戦してからも裁判をしてますね。特高の拷問などによって被疑者とみなされた方が五人殺されてしまったのです。1945年の8月から9月にかけて。あり得ない。しかし本当に有りました。からくも生き残った木村さんは、横浜事件の再審請求中に亡くなられました。集合したら写真は撮ってはいけないのですね。よく肝に命じます。

 戦後の再審で裁判所は判断を下すのを避けて免訴という裁定を下しました。理由は、治安維持法が無くなってしまったから。効力を失った治安維持法で人を冤罪で懲役にし、今度はその法律はもう無いから、無罪判決は下せないよというわけです。すごいですね、日本の法律。ていうか、法曹界もそのまま逃げ切ったようです。

 さて、ここで良心はどこにある?となりますが、マイケル・サンデル先生だと何と言うでしょうね?良心というものと自己保存というものがどこまで拮抗するのか?正義の話が成立しづらい日本の法治はこの先もいろんな誤認を生むのでしょう。関係無いと言って、たかを括っているといつしか自分も穴に落ちるような気もします。そう、六号室にぶち込まれます。

 木村亨さんの奥さんのまきさんは、旦那様が無くなっても、その無念と名誉の為に戦い続けています。ようやく地裁で国家の損害賠償請求が認められたそうです。つまり、民事では無罪を勝ち取ったわけです。しかし刑事罰は消えない。愛がや正義が勝つのを喜ばない人は、まだ沢山いるのでしょう。
 まきさんの迷いのない姿は一つの希望でもありました。そしてその愛は亨さんが亡くなっても消えるばかりか燃えてます。まきさんの詩集、「空にまんまるの月」を読むと痛いほどの愛しさに満ちてます。

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