太平洋食堂

太平洋食堂旅行記

日時2011年06月12日      テーマ熊野・新宮・太平洋食堂

熊野行 その5 最終章-1嶽本 あゆ美

 前回の「べしみ」は大きな反響?を頂きました。「お前は熊野詣をして来て、いきなりエロ話をするのか!」というお叱りは一つも無くてホッとしてます。さて、熊野も最終章です。ブログを書きながら、八月の「ともしび」脚本を書いており、まもなく脱稿です。書きながら思ったのは、「ともしび」はまさしく「べしみ」の男性版でした。19世紀のチェーホフもナンパ衝動に至るどうしようもない男性心理を華麗に言い訳しています。是非原作を、全集か岩波文庫でお読み下さい。

 新宮に「くまの茶房」という喫茶店があります。ここを経営する大江さんは、以前、同じ場所で「くまの書房」という本屋さんを経営していました。子供の為の絵本の品揃えが素晴らしい、通信紙なども出す活動する書店でした。旦那様が亡くなり諸々の事情で、書店を茶店に衣替えしました。新宮取材の間に、ここへは二回寄らせて頂き、ほっと寛ぐお時間を頂きました。このお店の事は、朝日新聞夕刊に早野透氏が連載していた「日本人脈記9・大逆事件残照」にも出ています。

 取材の際、大江さんらが取り組む「大逆事件を顕彰する会」の皆様にはおもしろい話を聞かせて頂きました。前にも書きましたが、左右のあらゆる立場の人が自分の興味のある問題について集まり動くという、今時珍しい完全市民主導型の市民運動です。気ままにベクトルの向く方へ向く方へと自由というかフットワークが軽いというか、でも筋金入りの人々でした。私なんて軽すぎてどうしようもない位に。お話を聞いて居てハッと思った事は、世間話の中にも自分たちの居場所というか場所と歴史の立脚点を正確に背負っているということでしょうか。私のように地方から首都圏に出てきてそのまま定住している人間とは大きく違うものを感じました。

 もちろん私にも田舎の実家があり、要介護4の父と母が二人で暮らしています。そこに戻れば、周囲との暖かくもがんじがらめの人間関係があります。もし、そこで何か問題意識が動くという事があるだろうか?と思うと首都圏に暮らしている時よりも大きな漬物石のような、「あきらめ」という概念が鎮座しています。原発問題一つにとってもウっと口が閉じます。
 医療崩壊しかかっている故郷で、父の転院先を探しに探して辿り着いたのは、原発マネーで潤っている御前崎病院でした。両隣三つの自治体内で全て断られた重症の脳血管障害患者の父を、ここは療養病床ではなくリハビリ病床で手厚く受け入れてくれる余裕がありました。昔、小泉時代の医療制度改革の結果、父の様な重傷の人は療養病床に行って、本物の寝たきりになるか、静かに消えて下さいという不文律が存在します。何も知らないアホな私は、そのカラクリを身内が倒れて初めて思い知ったわけです。(つづく)

前の記事次の記事
アーカイブに戻る